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【幸福論】ふんわり偉人解説「アラン」について

ふんわり偉人解説
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人は幸せだから笑うのではない。笑うから幸せなのだ」- アラン

今回は明るい幸福論として有名なアランについて紹介させて頂きます。
彼は1900年頃に活動していた哲学者……なのでしょうか? すみません。
私の中では哲学者と言う響きは固く聞こえるためか、アランに抱くイメージと少々異なりまして。

私の中でのアランは教師として働く傍ら「プロポ」と呼ばれる、短文の哲学的なエッセイを執筆された優しいおじ様です。 短文といえどその期間はなんと8年。彼は1日も欠かすことなく書き続け、新聞社には5000通以上の件数を送り続けたと言われています。

担当されていた新聞社の方はそれだけの投書を受けて、どう思われたのか気になるところです(笑)

そんなおじ様が残したプロポから幸福についてまとめられたものが、「アランの幸福論」として現在でも語り継がれているのです。

アランの生涯

今回の主役であるアラン(エミール=オーギュスト・シャルティエ)は1868年にフランスのノルマンディー地方で生まれました。 アランという名前は本名ではなく新聞社に原稿を送る際のペンネームだったようです。

彼は高校で哲学教師として働きながらプロポ(哲学的エッセイの短文)を5000通以上執筆しました

傍から見れば苦行とも見える執筆業ですが、アランは幸福には「継続的な努力と行動が必要だ」と説き続けていました。 なので、続ける事に幸福を見出していたアランであれば執筆業も楽しかったか、満足感に満ちたものであったのではないか、と私は思います。

いずれにしてもアランは「自分の不幸を、絶対に他人に対して言ってはいけない」と残しています。

どれだけ言葉を選んだ丁寧な言葉でも聞く相手にとっては楽しくない話題、不快な話だからです。 この様な言葉を後世に残すくらいです。アラン自身の苦悩を語る文章を見つける事は困難を極めることでしょう。

そんな温和な彼の性格と人生観には恩師と呼ばれるジュール・ラニョーの存在が大きく影響しています。

恩師の影響

アランの恩師であるジュール・ラニョーはフランスの教育者(哲学者)であり、近代哲学であるデカルトやカントの思想を重視し、批判的思考と理性の重要性を説きました。

教育スタイルとしてはソクラテスの問答法に通じるものがあったとされ、これは批判的思考の重要な要素である「問いを出すこと」「知っていると思っていることに懐疑の目を向けること」を実践していたことを示しています。 この方法はアランに大きな影響を与え、後にアラン自身の教育方法にも反映されました。

ラニョーは闘病の末に42歳の若さで亡くなってしまうのですが、アラン宛の手紙を残しており、そこにはこう綴られていました。

「ジュール・ラニョー」『ウィキペディア日本語版』2024年9月30日 15:30 UTC、https://ja.wikipedia.org/wiki/ジュール・ラニョー

親愛なるシャルティエ君、常に、何事にもおだやかに対し、しかも筋を曲げないようにしなさい。これが我々が他人に役立つ唯一の仕方ですし、又、哲学者の真の姿なのです。

アランもラニョーに対して「私が出会った、唯一の偉人」と称する程に尊敬の念を向けています。

アランの幸福論と特徴

アランの幸福論は難解な哲学書ではなく、陽気な内容で日常生活に即した考えや実践的な幸福への道を示しています。 元々がプロポという短文である事からも、どこから読んでも構わず読者それぞれが異なるメッセージを受け取ることができるので、幸福論の入門書としては最適かもしれませんね。

大きく分けてアランの『幸福論』には以下のような考え方が示されています。

人間は本来悲観主義者であり、意識的に幸福になろうと努力する必要がある

なるほど、人間が本来悲観主義者である理由を昨今の科学的なエビデンスと照らし合わせて考えてみましょう。 狩猟採集時代から死を回避するために培われた人間の脳は、危機回避の為に絶望的な未来を想像する癖、といいますか機能があることが分かっています。

なので意識的に幸福になるように向かわないと、流れのまま想像し続けて不幸になってしまいますよ、と説かれているのでしょう。

幸福は人生を楽しむスキルであり、重要なのは財産や容姿ではありません

仰る通りです。 個人的な話ですが、私は事業の失敗で財を無くして素寒貧の身になりました。
それに客観的に見れば容姿も恵まれてはいないでしょう(彼女いないし;;)。

ですが、今はこうやって文章を書く事に喜びを感じている、これは財産・容姿とは関係のない話です。 どう楽しむのかどう生きるのか、幸福に至るスキルを今後も磨きたいものです。

人は幸せだから笑うのではない。笑うから幸せなのだ

冒頭に差し込んだ名言ですね。この有名な言葉は、幸福と行動の関係を逆転させた斬新な考え方を示しています。 アランは、幸福な気分になってから行動するのではなく、まず幸福な人のように振る舞うことで、実際に幸福になれると主張しました。

これは、感情が行動を決定するのではなく、行動が感情を生み出すという考え方です。

所謂、中国の思想家「荀子」の教えに近い考えでしょうか。 日々の行いがその人を形作るのであれば笑顔でいる、幸福でいるように努力するのが必要だということですね。

しかし、ネガティブな物事が目に入りやすい現代では笑顔を作るのも至難。

ここからは私見となりますが、アランの考えを実践するに辺り、普段から楽しいもの・幸福なものを見聞きするようにする、というのはみなさま如何でしょう?

SNSの発達で嫌でも不幸なニュースや他人の悪口は流れてきます。
これ等を少し見ないようにして、楽しく明るい内容のものに触れるようにすれば自然と笑みがこぼれ、アランのように笑顔の似合う御方に近づけるのではないかと思います。

感想

コーヒーを片手にアランの幸福そうな顔を眺めながら記事を書いていますが、こちらも笑みが浮かんできます。 楽しそうな人を見れば楽しくなれる、誰もがアランのように明るくなれる訳ではないので、まずは環境から笑みを作れるように働きかけるのも悪くないと思います。

汚れた部屋を片付ける、暴言を吐く知り合いとの距離を見直す、流れてくる情報を正しく制限する。 何事も流れに身を任せていては不幸になってしまう、行動で幸福になれるという考えがアランの教えから私が学んだことです。

三大幸福論としてバートランド・ラッセル、カール・ヒルティの両名もアランと同じく名を連ねますが、この中で一番親しみやすいとされる所以はこの気楽さにあるのかもしれません。

もちろん、ラッセルやヒルティーの幸福論も素晴らしい考え方ですので、機会があればご紹介させて頂きたいと思います。

さて、唐突ですがアランの顔を見ていたら、おかわりのコーヒーを片手にジャズメドレーを聴き浸りたい気持ちになったので、この辺りで筆を置かせて頂きます。

ほなまた!

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